武田山 西麓や近隣の

武田一族や家臣たちの墓石   武田山 西麓 トップページ 
           武田氏の居館(守護所)は武田山の東、現在の祇園中学校付近だと考えられています。 従って、先に記した  ”墓石
         シリーズ” の 「武田山 東麓」 の墓石は武田守護家や重臣たちのものであると考えられます。

           一方、 「武田山 西麓」 にも大小の墓石が多数発見されています。
         いったい 「これらの墓石は誰のものでしょうか」!!
         武田氏の時代、近隣に居住し武田氏に従属していた一族、重臣、国人領主は下図のとおりでした。
            武田氏一族 = 伴氏    国重氏   福井氏
            譜代の重臣 = 品川氏  福島氏   武藤氏  など
            国人領主  = 香川氏  熊谷氏  など
         このような事から 「武田山 西麓」 は 武田氏(一族/地頭職)、品川氏、国重氏、伴氏 および、それらの家臣などのもので
         あると考えられます。

           現在、墓石を調査、比較してみると、大半が 「五輪塔」 ですが、場所により大きさや形が異なり、非常に興味深い。
         また、一族や重臣たちのものであろうと考えられる 「武田山 西麓」 の墓石が武田守護家や重臣たちのものであると考え
         られる 「武田山 東麓」 のものに比べ、あまりにも大きく、数も多いのが不思議です。
         「東麓」 のものは藪の中に一部露出していたり、畑を掘り起こした時や、家屋を建てるための工事中に発見されたもので
         小形で、数も比較的少ない。 未だ山林や畑が多く、団地化などの大規模な掘削が行われていないので、まだその多くが
         どこかに埋もれたままになっているのではないでしょうか。
         また、武田氏滅亡時、計画的に地中深く隠匿したことも考えられます。

  
        
                                                    参考文献 : 広島県史 新修廣島市史 
 墓石のトップページに戻る   安・伴地区の墓石を見る   その他の地域の墓石を見る   マップを見る 
                                                   Copyright(C)2009,11 WeLoveNishikou
クリックすると、このページを閉じます クリックすると、広島市祇園西公民館Web情報ステーションのトップに戻ります クリックすると、このページの情報を印刷します